本が読めなくなった話

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寝不足の日々を過ごしております。

息子は規則正しく2時に寝て5時半に起きてまたすぐ寝て10時に起きます。

息子が寝たあと私が寝るまでにまた時間がかかって、私がやっと寝れそう……というところで息子が起きたりするので大変です。

だいたい肩に乗せてるだけで寝てくれるので楽ではありますが、下ろそうとすると泣き出すのでやっぱりなかなか大変です。

子どもってなかなか難しいです。

さて表題の話ですが、息子を肩に乗せていると両手は使えないので片手でスマートフォンを使うことしか暇つぶしの選択肢がないのです。

文字を読む量はあまり変わってないと思いますが、紙の本を読む量は明らかに減りました。

あと、片手スマートフォンで楽をしすぎたので、両手を使ってわざわざページを抑えたりめくったりして本を読むのがつらくなりました。

紙の本は暗いところで読めないのも不便ですね。



ちなみにオススメのweb小説はこちらです。

https://ncode.syosetu.com/n3125cg/


これ全部を10日くらいで読んだので文字を読む量は変わってないと思うんですよ。


以上、明るいところで両手を使わないと読めない紙の本は育児中に読むのは難しい話でした。

産後うつにはならないけど

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少し前に予防接種の予診票が届いた。

合計22枚。

全部に住所氏名電話番号生年月日出生体重その他を書かなきゃいけない。

こう言う細々としたことをしなきゃいけないっていうのも産後うつの原因じゃないですかね。

11枚書き終えたところだけど手が痛いよ。


色んな手続きしなきゃお金もらえないし。

色んな書類書かなきゃいけないし。

いちいち役所にいかなきゃいけないし。

あーあ早く全部電子化しないかなー。

マイナンバーってそのために導入されたんじゃないのかよ。


新生児訪問とか、産後検診とかで産後うつにならないように〜とか言ってる割には産婦にさまざまな手続きさせるのはなんでなんだろうね。

全部自動化してくれー!


出産体験メモ

いずれはレポ漫画にしたい気持ちはあるけれどiPadもないし忘れる前に文章にしておこうと思う。


予定日の7/12になっても産まれる気配は微塵もなかった。床掃除とか踏み台昇降とかいろいろ効きそうなことをやったけど全く無反応。

翌日7/13の検診で先生にはまだまだかかると言われた。7/20になっても産まれてなければ、その7/22に入院からの7/23に陣痛促進剤で産むと予告された。

7/23で丁度星座が切り替わるので息子は蟹座じゃなくて獅子座になりたいのかなと思い、焦ることはやめて運動もせずゆっくりすることにした。


そして運命は予定日から五日後7/18にやってきた。

夕飯とデザートを食べ、布団でゴロゴロしているとお腹がちょっと痛くなって痛くなくなって、でも痛くないときもどことなく痛い。母や姉は「陣痛は痛くない時は全く痛くないんだよ」と言うが痛くないときもどことなく痛いので陣痛かは分からなかった。でももしかしたら陣痛かもしれないので、陣痛カウントアプリを起動しつつ取り敢えずお風呂に入った。

これが20時半くらい。

「お姉ちゃーん、痛いー」

と言うと姉がアプリの陣痛開始ボタンを押してくれる。

1分しないうちに痛くなくなるので

「お姉ちゃーん、痛くなくなったー」

というと陣痛おさまったボタンを押してくれる。痛くなくなった報告は基本忘れるので姉に怒られた。おさまったボタンは押さなくてもアプリ的には支障はないんですけどね。

お風呂から出てドライヤーも終えてからようやく産院へ電話。この頃は7分間隔くらい。流石に予定日を六日も過ぎていたので来院を促される。

入院準備グッズを車に詰め込み、父の運転で母を伴って出発。途中で自宅に寄り夫を回収。病院に着く頃には陣痛は5分間隔になっていた。痛みはそれほどでもない。「痛いー痛いー」と喋っていたし、おさまってる時にはケロッとして「これで陣痛じゃなかったらどうしよう」などと心配すらしていた。

病院に着いたのは22時くらい。

付き添いの人々と離され一人病室でモニターを付けられる。お腹の子の心拍とお腹の張りをチェックする機械である。

お腹の痛みは徐々に増すが痛い時でもなんとか会話はできる。痛い時は息を深く吸って長く吐くのだと看護師さんに指導される。まだまだ余裕があった。ツイッターとかLINEとかしていた。

40分ほどのモニターが終わり、診察へ。

診察室へ向かう途中で待合室を見たが父は完全に寝ていた。

子宮口はそれなりに開いていたがまだまだという感じ。取り敢えず陣痛室へ行くことに。このまま入院になる。入院着に着替えてパンツを出産用のものに履き替えていざ陣痛室へ。ここで両親とはお別れになった。夫は立ち会い。

陣痛室へ向かう途中、更に痛みが強くなる。流石にこれは陣痛だと認めざるを得なかった。陣痛の瞬間は本当に歩けない。一生懸命深く吸って長く吐く呼吸をしていたがとても苦しい。呼吸するだけで精一杯だった。

陣痛の合間を縫って歩き、なんとか陣痛室に到着。ベッドに寝かされるも激しい痛みに深く吸って長く吐く呼吸をすることすら難しくなる。苦しい苦しいと叫びたいのにしてはいけないのがとても辛かった。ヒーヒー言いたいのに深呼吸を求められ、でもそれが息子のためなので必死に深呼吸した。

内診をする度に夫は追い出されるので立ち会い出産といってもあんまり一緒にはいられなかった。

陣痛室には結局1時間もいなかった、と思う。記録を取る余裕もなかった。

まるで早送りをしているかのように事態は急加速する。

また陣痛の合間を縫って歩き、今度はすぐ隣の分娩室へ。

分娩台へ寝かされ、点滴をつけられる。

私は血管がグネグネしているらしく二回失敗された。

ここでも内診のたびに夫が追い出される。

3回目くらいに追い出された時、夫は医師に朝までかかりそうだと言われたらしい。

だがそんなことはなかった。

その3回目くらいの内診の時、分娩室へ移って1時間くらい過ぎた頃、内診されているのに痛みがほぼなくなった。狭い空間が広がったように感じた。

出てくる、と直感的に理解した。

いきみたい。

息子を押し出すために力を込めた。

獣が唸るような声が口から出る。

声を出しちゃダメと助産師に叱責され、指示された通り、目を見開いてヘソを見て歯を食いしばって息を吐く。

苦しい。

声を出したい。

でも息子のためだ、必死に我慢して指示通り、目を見開いてヘソを見て歯を食いしばって息を吐く。

上手だよと声がかかる。

狭い場所を無理矢理に器具でこじ開けられ(ていたと思う、全く見えていないので憶測)そこからこじ開けている範囲よりさらに大きいものが出てくる。

出さなきゃいけない。

姉は「鼻からスイカを出すという例えがよく分かった」と言っていたが、狭いところを無理矢理その範囲より圧倒的に大きなものを通すという強引さはよく分かった。

必死に長くいきんで、ゆっくり、ゆっくりと頭が外に出て行く。

苦しい、痛い、苦しい、それでも息子のために必死で歯を食いしばった。

そしてその瞬間は訪れる。

「生まれたよ」

助産師の声、しばらくして息子の泣き声。

手の上に汚れないように大きな紙を載せられて、その上に血だらけで泣き叫ぶ息子を載せられる。

それは一瞬だったけれど、確かな重みを感じた。

そして息子は処置のため少し離される。

私は「よかったねー」とかずっと呟いていた気がする。頭の中がふわふわしていてこの時のことはあんまり覚えてない。

息子が綺麗になってバスタオルを巻かれて私の腕の中に戻される。

夫と私とで記念撮影をしてもらう。

あと夫にツイッター映えする写真撮ってってお願いした。それが報告の時のおてての写真である。

この時ちょっとだけ乳を吸わせたりした。出たかは分からないが。

そして息子は回収され、夫はまた追い出され、胎盤とか出したり、傷を縫合されたりの処置がなされた。

ずっと開いている脚が痛かった。

なぜか左脚は倒れていて右脚は立っていた。倒れている左脚が痺れて痛いなーなどと考えていた。脚を動かす気力はなかったが。

処置が全部終わると車椅子に乗せられて病室に運ばれる。ここでとうとう夫ともお別れである。

この時点で朝4時前。

4時過ぎにベッドの中で落ち着いた私はLINEで夫に前回のブログやツイッターに上げるための写真を要求している。

そして夫は病院を出て、帰るためのタクシーが捕まらず途方に暮れていた。

病院でバスの始発まで寝てから出ればよかったのにと思ったけれども後の祭りである。

三件のタクシー会社に電話を掛けて全滅したもののそのうち一件から折り返しで行けますと返事をいただき病院の最寄駅に送ってもらい6時前にようやく自宅に着いたそうだ。

私は傷が痛くて眠れなかった。

疲れていたのでうとうとはしたが完全に眠ることはできなかった。

一睡もしないまま入院生活初日が始まった。


以上、ほほ自分用の備忘録でありますがはじめての出産はこんな感じでした。

書くのに5日かかってるので記憶違いもあるかもしれませんが、産むのにすごく必死だったのは覚えてます。

あと早送りみたいに急展開だったこととか。

陣痛で苦しむ時間もいきんでから産まれるまでの時間も過ぎるのがめちゃくちゃ速かった、そんなお産でした。


文章にしたら満足したのでレポ漫画は描かないかもなぁ。笑

【ご報告】産まれました!

予定日から遅れること一週間!

7月19日1時48分に第一子となる3317gの男の子が産まれました!

陣痛が20:30頃に起こってから5時間強という超スピード出産でした!

今のところ母子ともに健康です。

身体は痛みに悲鳴をあげていますが。笑

ご報告まで。


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つわりで休んで傷病手当金を4ヶ月後にもらった話

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つわりの時の給料はもろもろ引かれて四日働いて三万円でした。つらかった。


働かずにお金が貰えるなんて素敵ですね。

つわりで傷病手当金がもらえることなんて

インターネットで調べなきゃ知る由もないことです。

自分で調べることができるインターネットというツールがあることが現代の素晴らしいところですね。


わたしは2ヶ月ほどつわりがひどくて会社を休みましたが連続というわけでもなく一週間に一度くらいのペースで体調の良い日に働いたり、早退したり遅刻したりしていました。2ヶ月で合計10日くらい出勤していました。

会社には早めに妊娠の報告はして、休みますとは言っていました。

ちなみに入院とか点滴とかはせずに、吐き気どめの薬をもらって自宅安静という感じで基本的に検診の時以外は家で寝ているだけでした。

インターネットでは歩けないくらい重症でないと傷病手当金はもらえない的なことが書いてあるページもありましたが、全くそんなことはありませんでした。診断書も不要でした。

インターネットは信用しすぎてもいけませんね。

まぁ医師につわりがひどくて会社にも行けていないんですと相談しておく必要はあると思います。

わたしの母も姉もつわりはひどいタイプだったようで、姉は2ヶ月ほぼ動けなかったと申しておりました。体重も9kg落ちたとか。わたしは6kgくらいですね。水飲むだけで吐いたりしてたので働けなかったのは本当ですよ。ごはんもほとんど食べられませんでした。自分の食べたいものだけ食べられるんですよ、無性に天丼が食べたくて夫にてんやの弁当買って来てと泣きついたりしました。気持ち悪くなることがわかっていても天丼が食べたくて仕方がなかったのです。しかしそんな症状も2ヶ月後にはケロッとしていました。つわりは時間でしか解決してくれないのです。

そもそもつわりとは肉体を母親向けに作り変える際の拒否反応のようなものなので作り変えが終われば自然とおさまるわけです。これはわたしの認識ですが。


閑話休題

傷病手当金を申請するには申請書に記入をする必要があります。

だいたい加入している保険組合の公式ホームページでダウンロードできます。

インターネット万歳。

インターネットのない時代なら申請書を入手するのすら大変だったのでしょうね。


申請書には自分で書く欄、会社に書いてもらう欄、医者に書いてもらう欄の三種があります。

まず自分で名前や住所、被保険者資格取得日(保健証に書いてある)などを記入し、医者に提出(大きい病院だと総合窓口に提出、わたしの場合は一枚につき300円かかりました)してから、会社に提出してそのまま会社から保険組合に提出してもらいました。

会社と相談しながら残りの記入部分を書いていたのですが、わたしのように休んだり出勤したりしていてもそのまま12月1日から12月31日、計31日と記入して待機期間とか出勤日は考えずに書いていいようです。ちなみにカレンダー通りの仕事ですが土日も支給対象になるようです。知らなかった。

後から支給対象にならなかった日の通知が自宅に郵送で来ました。

支給対象期間は12月4日〜31日。これは待機期間3日を除いた日付ですね。

不支給期間は12月5日〜12月29日までのうち4日間。これは出勤した日を除かれてます。トータル24日間が対象でした。

医師に申請書を書いてもらったのが3月1日、実際に会社が申請書を出してくれたのが3月15日くらいで、一回返って来て改めて3月20日くらいに提出したのかな多分。一回返って来たのは「自宅安静って書いてあるのに出勤してるけど本当に医師の指示に従ってるの?」と疑問視されたからです。これは療養状況のところに「体調の良い日のみ出勤して良いとの指示がありました」と追記するだけでなんとかなりました。医師の指示は本当にそんな感じでした。つわりなので必ずしも動いていけないわけではなかったですからね。


結果4月に給料の半額くらいが入りました。予想よりも少ないけどこんなものみたいですね。まぁありがたい話でした。


中に人がいる

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2月17日に病院で

中期スクリーニング検査をしました。

当時6ヶ月手前でしたが

ちゃんと人の形をしてるんですね。

頭、胸、腹、腰、尻と順番に

しっかりできているか見るわけです。

ちゃんと頭蓋骨、手足の骨、心臓などが

形成されてて小さくてもしっかり

人間の形をしていました。

性別が分かったのもこれでですね。

中に人がいるんだなーと実感しました。


さて胎動の話です。

その日の夜、お腹を触っていたら

お鍋のお湯が沸騰して気泡が割れたみたいな 

感じの動きが。ほんのちょっと。

その時は私の腸の動きが胎動なのか

よく分からなかったのですが、

初期の動きはポコって感じらしいので

多分あれだったのだろうと思われます。


それから現在、半月経ちました。

腹の中の息子は基本的には

動いてない時がほとんど ですが、

動く時はちょっと痛いくらいです。

まだ6ヶ月ですよ……?

臨月が今から若干怖いです。

特に痛いのは下向きに動く時です。

この人私の腎臓に頭突きしてるのでは……?

お母さんの腎臓はおもちゃじゃありません!

家庭内暴力ならぬ胎内暴力ですよこれ。

やんちゃな息子が生まれてきそうです。


戌の日のお参りに行って来ました。

少し前の話になりますが、

2月11日に大宮の武蔵一宮氷川神社

戌の日のお参りに行って来ました。


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一応正装した方がよいのかなーと思って

スーツとワンピースでしたが、

厄除けやお宮参りなど

いろいろなご祈願の人に混じるだけなので

普段着でも全く問題なかったですね。

撮影は同行の母です。


ご祈願は30分に1回のペース。

専用の用紙に記入して

初穂料は一番安い五千円をお支払いし

待合室で前の方々が終わるのを待ちます。


待合室の奥には広いご祈願用の部屋があって

多分初穂料の金額の高い順に呼ばれます。


空いてる方から前に詰めて座って

立ったり座ったり礼をしたりして

ご祈祷されます。(適当)


最後に名前を呼ばれて

白い封筒ををもらいます。


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中身はこんな感じ。


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手前の大きいのは腹帯。

お腹に巻くサラシですね。


上の小さい箱はキャンディが入ってました。


右のは安産祈願のお札。

名前が入ってるので腹帯で隠してます。

神棚とか買ったほうがいいのかな?

夫がドアの上に飾りました。


お札の上にお守りが載ってます。

これは常にわたしの鞄の中に。


いろいろもらえてありがたいですねー。

お札とお守りは生まれた後の

お宮参りで返すつもりです。

安産になりますように。