出産体験メモ

いずれはレポ漫画にしたい気持ちはあるけれどiPadもないし忘れる前に文章にしておこうと思う。


予定日の7/12になっても産まれる気配は微塵もなかった。床掃除とか踏み台昇降とかいろいろ効きそうなことをやったけど全く無反応。

翌日7/13の検診で先生にはまだまだかかると言われた。7/20になっても産まれてなければ、その7/22に入院からの7/23に陣痛促進剤で産むと予告された。

7/23で丁度星座が切り替わるので息子は蟹座じゃなくて獅子座になりたいのかなと思い、焦ることはやめて運動もせずゆっくりすることにした。


そして運命は予定日から五日後7/18にやってきた。

夕飯とデザートを食べ、布団でゴロゴロしているとお腹がちょっと痛くなって痛くなくなって、でも痛くないときもどことなく痛い。母や姉は「陣痛は痛くない時は全く痛くないんだよ」と言うが痛くないときもどことなく痛いので陣痛かは分からなかった。でももしかしたら陣痛かもしれないので、陣痛カウントアプリを起動しつつ取り敢えずお風呂に入った。

これが20時半くらい。

「お姉ちゃーん、痛いー」

と言うと姉がアプリの陣痛開始ボタンを押してくれる。

1分しないうちに痛くなくなるので

「お姉ちゃーん、痛くなくなったー」

というと陣痛おさまったボタンを押してくれる。痛くなくなった報告は基本忘れるので姉に怒られた。おさまったボタンは押さなくてもアプリ的には支障はないんですけどね。

お風呂から出てドライヤーも終えてからようやく産院へ電話。この頃は7分間隔くらい。流石に予定日を六日も過ぎていたので来院を促される。

入院準備グッズを車に詰め込み、父の運転で母を伴って出発。途中で自宅に寄り夫を回収。病院に着く頃には陣痛は5分間隔になっていた。痛みはそれほどでもない。「痛いー痛いー」と喋っていたし、おさまってる時にはケロッとして「これで陣痛じゃなかったらどうしよう」などと心配すらしていた。

病院に着いたのは22時くらい。

付き添いの人々と離され一人病室でモニターを付けられる。お腹の子の心拍とお腹の張りをチェックする機械である。

お腹の痛みは徐々に増すが痛い時でもなんとか会話はできる。痛い時は息を深く吸って長く吐くのだと看護師さんに指導される。まだまだ余裕があった。ツイッターとかLINEとかしていた。

40分ほどのモニターが終わり、診察へ。

診察室へ向かう途中で待合室を見たが父は完全に寝ていた。

子宮口はそれなりに開いていたがまだまだという感じ。取り敢えず陣痛室へ行くことに。このまま入院になる。入院着に着替えてパンツを出産用のものに履き替えていざ陣痛室へ。ここで両親とはお別れになった。夫は立ち会い。

陣痛室へ向かう途中、更に痛みが強くなる。流石にこれは陣痛だと認めざるを得なかった。陣痛の瞬間は本当に歩けない。一生懸命深く吸って長く吐く呼吸をしていたがとても苦しい。呼吸するだけで精一杯だった。

陣痛の合間を縫って歩き、なんとか陣痛室に到着。ベッドに寝かされるも激しい痛みに深く吸って長く吐く呼吸をすることすら難しくなる。苦しい苦しいと叫びたいのにしてはいけないのがとても辛かった。ヒーヒー言いたいのに深呼吸を求められ、でもそれが息子のためなので必死に深呼吸した。

内診をする度に夫は追い出されるので立ち会い出産といってもあんまり一緒にはいられなかった。

陣痛室には結局1時間もいなかった、と思う。記録を取る余裕もなかった。

まるで早送りをしているかのように事態は急加速する。

また陣痛の合間を縫って歩き、今度はすぐ隣の分娩室へ。

分娩台へ寝かされ、点滴をつけられる。

私は血管がグネグネしているらしく二回失敗された。

ここでも内診のたびに夫が追い出される。

3回目くらいに追い出された時、夫は医師に朝までかかりそうだと言われたらしい。

だがそんなことはなかった。

その3回目くらいの内診の時、分娩室へ移って1時間くらい過ぎた頃、内診されているのに痛みがほぼなくなった。狭い空間が広がったように感じた。

出てくる、と直感的に理解した。

いきみたい。

息子を押し出すために力を込めた。

獣が唸るような声が口から出る。

声を出しちゃダメと助産師に叱責され、指示された通り、目を見開いてヘソを見て歯を食いしばって息を吐く。

苦しい。

声を出したい。

でも息子のためだ、必死に我慢して指示通り、目を見開いてヘソを見て歯を食いしばって息を吐く。

上手だよと声がかかる。

狭い場所を無理矢理に器具でこじ開けられ(ていたと思う、全く見えていないので憶測)そこからこじ開けている範囲よりさらに大きいものが出てくる。

出さなきゃいけない。

姉は「鼻からスイカを出すという例えがよく分かった」と言っていたが、狭いところを無理矢理その範囲より圧倒的に大きなものを通すという強引さはよく分かった。

必死に長くいきんで、ゆっくり、ゆっくりと頭が外に出て行く。

苦しい、痛い、苦しい、それでも息子のために必死で歯を食いしばった。

そしてその瞬間は訪れる。

「生まれたよ」

助産師の声、しばらくして息子の泣き声。

手の上に汚れないように大きな紙を載せられて、その上に血だらけで泣き叫ぶ息子を載せられる。

それは一瞬だったけれど、確かな重みを感じた。

そして息子は処置のため少し離される。

私は「よかったねー」とかずっと呟いていた気がする。頭の中がふわふわしていてこの時のことはあんまり覚えてない。

息子が綺麗になってバスタオルを巻かれて私の腕の中に戻される。

夫と私とで記念撮影をしてもらう。

あと夫にツイッター映えする写真撮ってってお願いした。それが報告の時のおてての写真である。

この時ちょっとだけ乳を吸わせたりした。出たかは分からないが。

そして息子は回収され、夫はまた追い出され、胎盤とか出したり、傷を縫合されたりの処置がなされた。

ずっと開いている脚が痛かった。

なぜか左脚は倒れていて右脚は立っていた。倒れている左脚が痺れて痛いなーなどと考えていた。脚を動かす気力はなかったが。

処置が全部終わると車椅子に乗せられて病室に運ばれる。ここでとうとう夫ともお別れである。

この時点で朝4時前。

4時過ぎにベッドの中で落ち着いた私はLINEで夫に前回のブログやツイッターに上げるための写真を要求している。

そして夫は病院を出て、帰るためのタクシーが捕まらず途方に暮れていた。

病院でバスの始発まで寝てから出ればよかったのにと思ったけれども後の祭りである。

三件のタクシー会社に電話を掛けて全滅したもののそのうち一件から折り返しで行けますと返事をいただき病院の最寄駅に送ってもらい6時前にようやく自宅に着いたそうだ。

私は傷が痛くて眠れなかった。

疲れていたのでうとうとはしたが完全に眠ることはできなかった。

一睡もしないまま入院生活初日が始まった。


以上、ほほ自分用の備忘録でありますがはじめての出産はこんな感じでした。

書くのに5日かかってるので記憶違いもあるかもしれませんが、産むのにすごく必死だったのは覚えてます。

あと早送りみたいに急展開だったこととか。

陣痛で苦しむ時間もいきんでから産まれるまでの時間も過ぎるのがめちゃくちゃ速かった、そんなお産でした。


文章にしたら満足したのでレポ漫画は描かないかもなぁ。笑